海外勤務者健康管理研修会

第9回海外勤務者健康管理研修会 要旨

2010年8月28日に大阪市福島区のTKP大阪梅田ビジネスセンターで開催された、第9回海外勤務者健康管理研修会では航空医学に関する講演と、救急搬送をテーマにしたシンポジウムが行われた。

まず、全日空大阪健康管理センター主席産業医の鍵谷俊文先生が「海外勤務と空の旅の医学」と題して講演された(座長は三洋電機連合健康保険組合 保健医療センター所長日高秀樹先生)。

講演では、航空性中耳炎や航空機減圧症、スクーバ・ダイビング減圧症に触れられた後, エコノミークラス症候群について詳述された。いくつかの歴史的経緯の後に、2001年2月の日本宇宙航空環境医学会のエコノミークラス症候群に関する検討委員会で、名称・予防・啓蒙・今後の対応について提言がなされたこと、その提言に基づいて行われた「航空機利用に伴なう静脈血栓症に関する全国調査」では肺血栓症を起こした44例の特徴として高齢者・女性・機内発症よりも空港内発症が多いこと(動き始めてからが危険)などが明らかになったこと、低・中等度・高に分けられる危険因子も様々で例えば経口避妊薬を含むホルモン治療や6週間以内の下肢の手術などは中等度の危険因子であること、などを説明された。そして、予防法としては、(1)適切に水分摂取する、(2)飲酒を避ける、(3)トイレまで頻回に歩行する(乱気流による負傷事故で最近はお勧めできないので替わって)、(4)足の位置を頻回に変えたり、ストレッチ運動・下肢のマッサージを行う、ことなどが挙げられ、最近は機内でビデオで案内して運動してもらっている、と紹介された。

続いて、機内救急患者の実態について触れられ, 傷病の種類としては意識障害(30%)、気分不快(13%)、呼吸困難(10%)などが多いこと、8〜9割の方が医師や看護師の援助を受けていること、などを紹介された。機内搭載の医薬品・医療品の中で、AED(自動式体外除細動器)については1999年に運輸省航空局通達で登載許可がでているが、American Airlines における200例のAED使用についての論文(Page RL et al. N Engl. J Med 2000;343;1210-6)の後に米国では搭載が義務化されているのに対し、日本ではまだ義務化されていないことを説明された。

さらに、機内救急医療の法的問題に関して、人道的・倫理的なボランティアとしての援助と応召義務との関係に触れられ、日本版「よきサマリア人法」制定に向けた動きを紹介された。

以上、海外派遣労働者の健康管理を担当する産業医にとって、特に航空医学に関わる有用な情報をご提供頂いた。

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後半のシンポジウム「海外勤務者の救急搬送」では、座長の関西医科大学公衆衛生学講座の西山利正教授の司会で、3人の演者が講演された。

まず、「海外勤務者のための医療アシスタンスー緊急搬送はどのように実施されるか」と題して、日本エマージェンシーアシスタンス梶i以下、EAJ社)執行役員の榊原牧子先生は、アフガニスタンでテロに巻き込まれた邦人男性の帰国搬送を引き合いに、アシスタンス会社がどのようなことをしているのかを紹介された。EAJ社の医療搬送実績の中では、50-60歳代の件数が多いこと、疾患別では脳疾患(37%)・整形外科疾患(23%)・循環器疾患(12%)などが多いこと、医師1名・看護師1名が複数付き添うことが多いこと、チャーター機の利用が11%あるがビジネスクラスの利用が60%を占めていること、などを紹介された。邦人の帰国搬送だけでなく、心移植を受ける邦人の海外への搬送や、日本から海外への外国人の搬送も行っていることも話された。

アシスタンスは24時間対応であるが、患者の容体を如何に素早く、正確に把握するかが生命線であること、そのためにドクター同士の直接対話や画像検査結果の入手による病状判断を行っていることを話された。また、適切な検査・治療がなされているか、医療施設や医師がいるか、衛生環境の実態などを評価して、現地治療継続か緊急搬送すべきかを判斷しているとのことであった。そして、緊急搬送するとなれば、bed to bedでロジスティクスを詰めていく作業を行うが、搬送手段としてチャーター機を使う場合、定期便を利用する場合、特に後者ではストレッチャー搬送にするか、ファースト・ビジネスクラスを利用するか等でそれぞれ利点・問題点があり、総合的な判断が要求されると話された。緊急搬送の実態を多くの写真で紹介頂き、印象深いお話であった。

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続いて登壇された白鬚橋病院(東京)の副院長石井達男先生は、「国際医療帰省搬送181例を経験して」と題して講演され、これまでの実績ではアジアが約半数で北米やヨーロッパがそれについで多いこと、疾患としては脳卒中(22%)・急性冠症候群(15%)・骨折(29%)・(精神科疾患を含め)その他内科疾患(25%)の内訳であること、地域別で帰国搬送に要した時間は南米では29時間にも及ぶこと、発症・受傷から帰国までの日数は2-3週間もかかること、などを紹介された。使用する航空機も、軽中等症ならビジネス・ファーストクラスを、重症ならストレッチャー搬送やプライベートジェットによる搬送を行うが、フランクフルトからならルフトハンザ航空のPTC(Patient transport component、飛行機の中で部屋が隔離されている)を最重症患者に使うことができるとのことであった。機内での医療処置については特に IATA Medical Manual が大変参考になるとのことであった。具体的には気管切開をしている方の場合、機内では湿度が0%になるため加湿が必要であること、エアバスでは聴診器が使えるが、ボーイングでは使えないなどの問題も披露された。

医療チームは(様々な問題をクリアした後)搬送機の席に座る頃には半分くらいエネルギーを使ってしまうことや、出発してからは常に万が一の時にどこに着陸できるかを考えていることなども話された。次に降りることができるまでの間はdead zoneと呼んでいるが、北米からだとアンカレジー千歳間の4時間、ヨーローッパからだとモスクワから日本までのシベリア上空の7時間がdead zoneになる。これが中東のカタールからだと(途中でどこにも降りたくないので)10時間にも及ぶらしい。

医療搬送では常に先を読むことが大事であるが、飛行機が上昇する最初の1時間くらいが機内環境が変わるために問題が起こりやすい。酸素分圧が低下し、血圧や心拍数が増加して緊張のピークになる。この時に問題が生じても簡単には引き返せない。最大着陸重量が機種によって定められており、燃料を霧状にして放出するのに1時間くらいかかるし、また、それができる空域まで移動しなければならないという課題もある。

このようないろんな障壁を乗り越えて帰省搬送が成り立っているが、大小、様々な歯車が噛み合わないと現地で立ち往生するということで、講演を締めくくられた。

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最後に登壇された外務省人事課メンタルヘルス対策上席専門官、鈴木満先生は「海外邦人のメンタルヘルス不全者の帰国搬送」と題して、海外で精神変調をきたす日本人が増えているとして、その実態を紹介された。

身体事例との違いとして、言葉自体が治療的であること、(医療者として)白衣を脱ぐとケースワークが難しくなること、日本から逃げるという「病的旅」があること、その他、病識欠如や自傷他害の危険性があること、などを挙げられ,帰国搬送に際して過鎮静の状態にしたときには身体疾患と同様な配慮もいると説明された。また、海外は大多数の邦人にとって精神医療過疎地域であり, 精神科医の見立てに日本の医者と違いがでてくることがあることも紹介された。

2008年度の外務省海外邦人援護統計では在外公館で精神障害にて援護を受けたのは367名いるが、その中には、病的旅行者とそのリピーター、長期滞在精神障害者や困窮邦人、薬物関連事例、災害事故被害者、被害者家族と遺族、などがいる。特に海外邦人は「災害弱者」になりやすく、例えば、9.11の後にエレベーターに乗れなくなった事例などを話された。このような「災害弱者」にはポストベンションが重要だが、在外公館による援護はやむにやまれぬ形のケースワークと言える。そのような援護の中では家族に連絡しても協力的でないこともよくある。むしろ、仕事のある人の場合は会社の方が協力的なことが多い。航空会社とのnegosiationが大変なことや、帰国した後の主治医探しも困難なことが多いことなども紹介された。

疾病の中ではアルコール中毒の話をされ、海外ではアルコールが昼から飲め,夜も必ずアルコールがつき、上司のアテンドで飲むことが仕事であったりして、ブラックアウトを経験したり肝硬変になったりすると一時帰国するが、断酒をしないために、飲めるようになると海外に戻ってきて、あげくの果てにアルコール性てんかんや小脳失調をきたす例もあること、そのような人を帰国搬送する際に機中で離脱症状が出ると大変なことになると話された。

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精神科救急事例とは「いつもとは違う」「何をするかわからない」切迫した精神症状を呈し、「病院に行きたがらない」、自傷他害の恐れがある、「明日まで待てない」などの状況だが、医師だけでなくケースワーカーや通訳、入院施設など多くの医療資源を必要とする。海外で救急事例化する理由は、初期介入が遅れること、病気とわからないうちに発症していしまっていること、医療資源不足などのほか、治療の分断ということも挙げられる。在外公館で保護された精神科救急事例の転帰を調べると、帰国搬送された方の約1/4が(日本での治療を受けることなく)成田で消えてしまっている。また、機内で暴れるリスクを避けるため過鎮静にすると帰国後一見おとなしく見え、医者がそのまま返してしまうという見立ての混乱が起こる。このような形で治療の分断が起こる。このような人達の中にはリピーターとして海外に戻ってしまう人がいると考えられている。この問題解決のために国内空港近くの地区病院と保護した在外公館の間で情報を共有できないか、外務省と厚労省が検討中であることも紹介された。

3人のシンポジストのご講演の後, 座長の西山先生の司会で質疑応答が行われた。 プライベートジェットでの搬送の費用に関する質問に関して、シンポジストからは人件費を含めて、大型のプライベートジェットで1時間あたり200万円、小型で100〜120万円かかると回答があった。クレジットカード会社の保険でカバーしてもらえるかどうかについては、救援費用に関する条項にもよるが、一般的にはとても足りないとの回答であった。

「病気をすると同じ死ぬなら日本で死にたい。しかし、医学的に見て重症でない。現地で対応できるはずなのに出来ていない。このような場合はどう対応するのか」との質問に、「現地のDrの意見を先ず聴き、企業人なら企業の人に間に入ってもらって「どうする」ということで調整していく、と回答された。中国で入院するとなかなか退院させてもらえず、苦労するとのコメントもあった。メンタルの話の中では統合失調症の話が中心であったが、うつ病に関してはどうなのかとの質問について、うつ病は本人よりもむしろ家族に多く、海外での日本人特有のムラ社会が原因ともなっていること、このような時代だからこそ、(社員のストレス緩和のために)福利厚生をよくすることも重要ではないかと回答された。

あわせて NPOのグループ withやジャムズネットの活動も簡単に紹介された。

以上をもって3時間に及んだ研修会は終了した。

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